Dr.Atom(井上真)

宇宙の窓口で大会の生命を躍動させた
「第9回BIOHEALTH アルゼンチン世界大会」  by Atom
2018.9.20-23 マリアポリス会館 パラナ市 南米アルゼンチン

(テーマ)健康とエモーション(こころ)― いのちを癒しいのちの全体性をとり戻す

✙はじめに ー 多様な文化の絆を探る
✙(講演)様々な角度から“こころ”への愁波
✙ワークのメインは、お猿とみほの“日本のサンバ”阿波踊り
✙次回「第10回BIOHEALTH世界大会」はブラジル・アマゾンのマットグロッソで
✙旅の宴 - 南極を目指して

✙はじめに ― 多様な文化の絆を探る
いい大会だった。アルゼンチンはマクリ政権下で今年に入ってインフレ率230%。去年は1ドル15ペソだったのに毎月ペソは膨れ上がり大会が始まるころは1ドル40ペソ近く、ドルで参加する外国人には有利だが本家本元のアルゼンチンからの参加が危ぶまれた。それでも価格見直しはせず、カトリック系財団マリアノポリス会館は「利益なし」を呑んでくれた。大会組織委員会も赤字覚悟。一切の余計な粉飾や援助は省いて大会そのものに集中した。それもよかった。
参加者は全部で130名ほど。組織委員会にはかなりのユダヤ系メンバーがいたが、国籍は不明だがアルメニア、ウクライナ、デンマーク、ベルギー、スイス、ドイツ、フランス、スエーデンなどの欧州勢。北米の米国、カナダからも一人ずつ参加。この半年で400名近く反政府運動でオルテガ政府に殺された激動の中米ニカラグアからは28年前ぼくのセミナーに参加したウラニアさん。ホンジュラスからは農民BIOHEALTHを指導するSILOE(農民職能センター)のシスター・リタさんのグループ。南米からは、本拠地アルゼンチンのメンバーを中心に、隣国ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ボリビア、ペルー、コロンビア。30年以上のBIOHEALTHの同志メキシコ、クエルナバカのオスカルさんも来て、多彩な参加者があった。
日本からは名古屋医新の会の岡田さんはじめ、足のレフレクソロジーの美穂子さん、快医学のベテラン野本みほさん、空手、新体道、阿波踊りの名手お猿さん(植田弘一さん)とぼく。後述するが、オスカルさんは今度メキシコで選ばれたロペス・オブラドル大統領に非常に近いところにいて、「BIOHEALTHを新政策の要に」のメキシコBIOHEALTH運動のメッセージを携えて参加した。ぼくはアルゼンチン以外の中南米を中心にした「外回り」組織を担当した。前回3年前のエクワドル大会以来メキシコからブラジル、アルゼンチンまでいろいろ旅をしたが、その割には参加者はいま一つ。今年に入って、中南米全体を覆っていた「左派」政権が腐敗、独裁、資源売渡の悪評で今度は大きく「極右」政権にぶれた。その政情不安と経済悪化、米国トランプ政権の移民圧迫で全体の意気がぽしゃってしまった。中南米で、メキシコを除いて希望や元気のある国はひとつもない。大会やセミナーどころではなかった。

・大会セレモニーは広大なパンパ(草原)の木々に囲まれた中庭で行われた。南半球アルゼンチンの9月は薫風かおる早春である。いたるところで香がたかれ、参加者の大きな輪はやがて祈りの集団に変わった。軽快なワルツ様の踊りが動き始めると、輪の中心にあった大きな物体の紫色の幕が引き落とされた。何と1mもある木彫の妊娠した女人像が現れた。しかも太っ腹の満期。ホオーというみんなの賞賛のため息。右手は健康、幸福、繁栄、平和を象徴する丸い宇宙(地球)を高々と掲げ、妊娠末期のお腹の前には「種付け箱」。ここではSexなしに妊娠する。カトリックの伝統だ(冗談)。セレモニーが始まる前、全参加者は一つまみの種をとって輪に入ったが、今度は列を作って「箱」に「種付け」作業。一人一人の蒔いたBIOHEALTHの健康と平和の種がいまこうして成熟し満期(大会)を迎えたのだ。見事な作品だ。
このBIOHEALTH女人像を作り大会セレモニーを取りしきったのはウクライナ出身のクラウデイオさん。奥さんは小学校の先生でスイス人のロレーナさん。今はアルゼンチン国籍。10代後半の3人息子と11歳のひとり娘の両親でもある。大会には次男、三男, 夫婦と4人で参加したが、この一家が素晴らしいのは、全員が天性の芸術家一家であるだけではなく夫婦、親子、兄妹、みんな本当に仲が良い。彼らの近くにいるだけで心が和んではずんでくる。楽器をとれば、ギターやタンボール(太鼓)だけでなく、ピアノ、ヴァイオリン、トランペットから草笛までプロも顔負け。一家でオーケストラをやるときは娘のピアノを中心に楽器を編成する。踊りもタンゴやサンバから先住民ワイノ、北欧系の複雑なリズムまでみごとにこなす。絵画や俳句、作詞、作曲まで。大会が終わってサンタフェのコッテイジに戻ってきたときは、ワインを飲みながらふたり息子がギターとタンボールでなんと「BIOHEALTH讃歌」を披露してくれた。大会前に作ったという。素晴らしい讃歌だ。

会場のマリアノポリス修道院の中庭で、開会式のダンス

・4年前、アノライマ(コロンビア)で生まれた「ミトコンドリア讃歌」(作詞作曲はコスタリカ人、肺がんで養生に来ていたグワダルーペ・ウルビ‐ナさん。彼女の癌(中皮腫)は8か月で治った)、2年前アルゼンチンのバリローチェで生まれた「飲尿讃歌」(作詞作曲はグリンゴ・ブストさん。彼の前立腺がんも2年で治った)とともにBIOHEALTHの代表的な3っつの讃歌が生まれた。BIOHEALTH演劇は、28年前、もはや「古典」の領域に入るメキシコ、クエルナバカ市の「劇団ゼロ」(戯曲家俳優チューロ・トーレス主唱、この劇団は昨年創立50周年を迎えた)の「いのちの水」(これは市場公開もされ人気を呼んだ)。グワテマラ、ホンジュラス、ニカラグアのたくさんのグループのセミナー後の「文化の夕べ」で生まれた寸劇「いのちの水」、エクワドルの超有名なTV劇作家俳優クリストファー(ドイツ人)の創作劇「いのちの水」「BIOHEALTH」・・・これらは、エクワドルの前コレア政権下で毛沢東時代の文化大革命を思わせる「下放演劇」(大きなトラックに乗って地方の公園や街角でドサ周りするプロパガンダ演劇集団)にもなった。その他、コロンビア、ペルー、ボリビア、ウルグアイ、ブラジルではじつに多くの寸劇、喜劇、歌劇が生まれた。
演劇、歌に続いて今回はアルゼンチンでBIOHEALTH彫刻が生まれた。クラウデイオさんはこの女人像だけでなく、この26年間BIOHEALTHの普及と発展にいのちを賭けてきたカトリック・ジェスイット教団のブラジル人レナート神父にもう一つの大きなレナート神父をかたどった「伝道者」の彫像を贈った。神父は来年80歳になるが、反動的なブラジル医師会やTVマスコミとの裁判に勝ってマットグロッソ州の州都クイアバから骨休みのためボリビア国境の小さな町に転居した。だがBIOHEALTHの「布教」に休みはない。生命宇宙の全体性を取り戻す作業と地道にそれを進める人間の営み、文化の絆は、かつてアタウアルパ・ユパンキが「HERMANOS(兄弟)」で歌ったように、どこに住んでいようとどんな生き方をしようと、希望を前に、思い出を後に数えきれないたくさんの兄弟たち、そして「自由」という素晴らしく美しい姉妹たちがいることを思い起そう。小さなこだわりを捨て、我らを育んでくれた大きな世界に生きよう。そのユパンキと同じスピリットから生まれた。

我々日本人グループはいつも同じテーブルで食事したが、クラウデイオさんが持ってきたワインを飲みながら彼は「あの彫刻は何日くらいで作ったかわかりますか」と尋ねてきた。「1か月位」いや「3週間だ」と答えていたが、正解はなんとたったの4日!しかも、切り出した2mの大木から仕上げまで。肩まで垂れた長髪に丸たん棒の太い腕、北極熊の風態のどこにあの繊細な感覚を秘めているのだろうか。

✙(講演)様々な角度から“こころ”へ愁波
大会のメインテーマが “健康とエモーション(こころ)”だったから、このテーマには10指に近い講演があった。ただ、エモーション(感情、気持ち)とこころは必ずしも同じではない。気持ちとこころは似ている。また、こころはどこにあるか。心臓のあたりか、脳内か腸内か、子宮の中か、からだ全体か。こころとは何ぞや? と考えると一人一人違う。だから、各自が感じ、思ったことを自由に述べればよい。特に定義しなくて良い。心は心だ。
・セレモニーや昼食を終えて、午後3時、このテーマの一番バッターはぼくだった。ぼくは「心・・魂のレベルで深く繋がる動物との絆 <無双原理の実践>」というややおどろおどろしいテーマで、いまからおよそ10年前、アノライマの農園で生まれて初めて牛(ドーリと命名)を飼うようになった経過とやがてその牛娘リンダの誕生から話を起こした。ぼくは当時ペルーのオジャンタウマラ大統領に招かれて各地でBIOHEALTHセミナーをしていたが、標高4000mの寒いワンカーヨの町にいたとき、突然特別な理由なくぽろっと前歯の一部が欠けた。悪寒が走った。直観で「何かあった!」と感じた。凍てつく町に出てコロンビアの自宅に電話した。お手伝いさんによれば、今日の夕暮れ下の牧草地で牛のドーリが突然倒れた。もがいても、もがいてもどうしても起き上がれずアリシアはドーリにつきっきり、獣医のギジェルモも来ている。こんなことは初めてだ。彼女の声は興奮していた。
この旅で最初の講演はリマの厚生省本拠地ビル8階で、そのあとリマ近郊BIOHEALTHの本拠地ワイカンでセミナー。その後、歯が欠けたワンカーヨに登り中学校講堂でセミナー、それから毎週末ヴィジャ・サルバドルの教会、厚生省が100名の医師を招き本格的な3日間のセミナーを準備したアレキッパ医師会「フジモリ記念館」で、そして最後のセミナー地、標高4000m、琵琶湖の10倍あるボリビア国境チチカカ湖畔のフリアカと旅を続けた。ヴィジャ・サルバドルでは寒さで落ち込み、アレキッパでは大勢の医師を前に最高のチャンスだったが発熱と咳でガクガクになり、フリアカにはぼくの防寒具一式と薬草、食料、強力な鎮咳注射までもって2人の女医さんがワイカンから来てくれたがダウン寸前。ぼくの病状の悪化は1分1秒の狂いもなく、牛娘ドーリの悪化に対応した。そしてフリアカセミナーの最終日、3日目、ぐっすり寝ていると突然優しい女性の声で「パピー、大好きなパピー!」と呼ぶ声がした。「おーい、ドーリ!」と返したところで自分の声の大きさで目が覚めた。時計を見ると朝の2時10分だった。ドーリが別れの挨拶に来たのだとすぐわかった。とどめもなく涙が流れた。そしてまた、深い眠りに落ちた。セミナーが終わって町の電話に走ると、「今朝がたドーリは亡くなりました」の報。
ぼくは人間と話すのは得意でないが、動物たちとはいつも心を開いていろいろな話をする。時間が許す限り抱擁やキッスの触れ合い、行き届いたブラッシング、小さな肌の異常も見逃さない。いつもいい食べ物、新鮮な水を準備する。この5年間4匹の犬、3匹の猫をはじめ牛、馬に駆虫剤やビタミン剤、勿論予防注射など薬剤は一切使っていない。必要ない。うちの動物たちはみな健康で元気に飛び回っている。彼らはペットでもマスコットでもなく、まさに心身一如、陰陽の統一(太極)、我が身と宇宙の一体化ををもたらす無双原理の実践なのです。
(注)無双原理(唯一原理)
西洋思想の根底にある二律背反、二極対立、二項不同の矛盾を超える東洋思想の唯一原理。すべては太極から生まれる。太極から性質の異なったお互いに補完する陰陽が生まれ、陰は陽に、陽は陰に転ずる。この性質の異なったものの相互補完、相互転換、輪廻思想の革命性は物事を“一”で捉える絶対把握にある。動物の生きる原理と人間の生きる原理は異なっているが真の意味で共に生きることによって統一的有機的唯一原理(宇宙)を生きることになるからである。宇宙を生きる、自然を生きる、自分を生きるはこの閉塞した社会を突破する鍵だ。

大会4日間の全体の流れは、朝はジャスト7時、ぼくがリードして運動。Bioダンス、スワイショウ(動禅)、BIOHEALTH風禅密功、呼吸法、八段錦をベースに、日替わりメニュウで般若心経円舞。太極拳の予備運動、経絡マッサージ、練功十八法、いのちの運動、尊師功など含めて1時間半。気持ち良い汗をかいたあと9時から朝食、10時講演&証言。午後1時昼食、3時ワークショップ、7時夕食 その後は文化交流、証言&宴会。   講演やワークは演題を絞って、各テーマに十分な時間と質疑、感想の時間をとったことが非常に良かった。また日本人の英語通訳には、前半アルゼンチン人のリリーさん、後半はフランス人のドミニックさん。ぼくは怠けて何もしなかった。

・初日第2の講演は、「先住民世界のこころ」と題して、アルゼンチン・アラウカーノ先住民で現在学校の先生をしているエクトル・カトリさんが講演した。アラウカーノ先住民は大変古いいくつにも分かれた部族で15世紀以前はインカ帝国に、その後はスペイン帝国とチリ政府にほとんど素手で、敵が大砲、ライフル、騎馬で攻めてくるのに対し弓矢、石つぶて、体当たりの接近戦で300年にわたり抵抗ししかも不敗の記録をもつ勇猛な先住民であった。その勇猛さを称して先住民“マプーチェ”の名で知られている。マプー(大地)チェ(そこに住む人々)。大半がチリの中部から南部、アルゼンチンの中部に住む。かつては土地を奪う軍事侵略のため、現在は日本やスイス、中国、米国の大企業が森林資源、地下資源、水資源強奪のためやってきてマプーチェの闘いは続いている。
アラウカーノ(マプーチェ)の信仰はマチと呼ばれる祈祷師が執り行う自然崇拝で霊的な存在が信奉されている。マチは一種のシャーマニズムで通常は巫女が担う。マチは薬草や病気治療に幅広い知識を持ち、悪霊払いや雨ごい、豊作などの儀式を行う。長年の闘いで我々はほとんどすべての土地を失い、不毛の地に追いやられ、文化も宗教も生活すらも破壊され、凌辱されてきた。戦いに負けたのだから恨みはないが、圧倒的な力量の差と、我々の無知を利用した卑劣な騙しで負けたのだ。先住民の生きる権利と文化を回復する闘いは、何よりも後住民のあなた方自身が生きる力と尊厳を回復する過程に見合っている。

・大会初日の3番目の講演は夕刻に入って日本の岡田恒良(医博)さん。英語から西語への通訳はお父さんがユダヤ系アルゼンチン人のディアナさん。彼女もイスラエルで生まれた二重国籍のアルゼンチン人。岡田さんは二つの講演をした。ひとつは「食物が血液を作り、血液が細胞(身体)を作る」千島学説の革新的血液理論の紹介ともう一つは「病の原点を探る~ヒエラルキーの形成とその終焉」。この前半の講演で、60年前、千島喜久雄教授は赤血球や白血球などの血球は食物を材料に小腸で新生され、さらにその一部は幹細胞になり種々の臓器細胞に変化すると報告した。食物、特に脂質には重要な役割があり赤血球の膜の原材料になる。血流と柔らかい赤血球膜は健康に必須の要素であり、血流障害には自律神経が大きく関わっている。特に交感神経の興奮は内臓系の血流を減少させ、感情の乱れは自律神経を乱し血流を阻害する。という形で生理学の立場からこころ(感情)に触れた。
さらに2日目の講演では、病の原点を探るうえで現在のような階層型社会の影響は無視できない。原始社会における生産力の発達とその蓄積が異常なエゴと葛藤の階層社会をうみ、それがまた病をうみ出すもとにもなった。すべての無意味な争いが終焉する道をみんなで求めたい。近年日本では度重なる天災のため、しばらく忘れていた互助や譲り合いの精神が復活してきた。あわただしい大会初日を終えて、大分緊張が解けてきた。みんな長旅で疲れていたが、ワインの本場であることも幸いした。

・2日目、最初の講演は「気持ちよく生まれる~BIOHEALTHと出産」というテーマで、組織委員会で忙しく働いていたリリーさんの娘で産婆さんのヴィッキーさんと相棒のアバテさんが担当した。とてもいい雰囲気だった。大きな会場でみんな車座になって座り、ヴィッキーとアバテさんが合いの手よろしく自然出産の素晴らしさと女性はみなその能力をもって生まれてきたことを交互に喋りながら、無痛分娩という名の人工的出産は非常に危険なだけではなく(90%以上が無痛分娩の米国は母親の出産時死亡が世界でも13番目)生まれてきた子供の半数はニューヨーク州ですら多動障害、知覚障害に悩み、成長がうまくいかない。彼女らも3人の子供の母親だが、講演時間の大半は妊娠や出産をめぐって遭遇した生みの苦しみと喜び、感動や経験を語り合うみんなの講演会になった。司会進行を務めたラウリさんも妊娠8か月、ニコニコ腹だし、臍だしスタイルで飛び回っていた。
余談だが、ヴィッキーさんの母親のリリーさんはかつて70-80年代、当時の左翼過激派組織モントネロスに属し、ホルヘ・ビデラ軍事政権下で逮捕され空中拷問や水攻めで3年間投獄された経験を持つ。アルゼンチンのもうひとつの裏の顔だ。

・午前の部、第2の講演はアルゼンチン、サンタフェの医師マルティン・モンテヴェルデさんの「Dr.ハンマーの五つの生物学的法則」の紹介。ドイツ人のDr.ハンマーは今年亡くなったが、もとミュンヘン大学医学部癌科医長で精神医学や内科学にも通じ、いわば現代ドイツ医学の一つの顔でもあった。彼の癌理論は簡単で、家族の死や何か予期しない大きなショック、孤独があるとそれがトラウマ(恐怖の記憶)となって、まず脳に変異をもたらし次第に精神や臓器を冒してゆく。彼の場合は、一人息子のDirkの交通事故による悲劇的な死のあとハンマーに癌(睾丸)が現れ、妻も後に乳癌になる。この事件がきっかけでその後多数の症例を検討し「癌=トラウマDHS理論」(Dirk Hamer 症候群)が完成する。この理論を補強するのが「五つの生物学的法則」で、日本ではあまり知られていないが、欧米、中南米の自然代替医療の分野では大勢の信奉者がおり、第一法則(鉄の法則)=DHS理論の確認 から遺伝子の変異に言及する第三法則、さらに「微生物は病を引き起こさない」炎症理論を経て、第五の本質論「癌や病いの治癒には“精神的霊的な成長が必要だ”」に至る。
ハンマー理論の特徴は、癌の原因をショックや孤独よるトラウマだと断定し、癌遺伝子の増殖だとする現代医療の理論に挑戦し、手術、化学医療、放射線を拒否し、治癒の過程はすべての代替医療や精神の向上を土台としこれを「ドイツ新医学」と名ずけた。この理論、方法論はいたく現代医療を刺激し、全欧から追われる羽目になりフランスだったかスペインだったかで2年間も投獄された。運動不足や肉食偏重、遺伝子転換食、薬漬け、ストレス三昧の生活習慣には触れず、すべてを「ショックートラウマー癌」にもっていき、明確な治癒理論がないハンマー理論にぼくは賛成しないが、「感染症はない」「バクテリアやウイルスは存在しない」は、大いに興味を引かれた。

・午後の部の講演は、講演というより「生きた食べ物とエモーション」のパフォーマンスで、屋外のパンパにある大きな吹き抜けのワーク会場で行われた。ナタリアさんとフアンさんの掛け合いで有機自然農法で生まれた様々な食材を一つ一つ出身地やその‴徳“(内容物)とそれをどう調理するか漫才風に面白おかしく説明した。有機の生きた生の野菜を食べれば健康で元気で愉快な生き方ができるし、肉など死んだものを食べれば病気で元気もなくなる。彼らのスタッフは調理場で次々にジュウサーにかけたものを参加者全員にサービスした。なかなかいい講演だった。

・夕刻はワークのあとの講演はコロンビアのアリシア・カブレラさん。誰だ、彼女は?「エモーション ~霊性に至る道」。我々は生まれる前から母親の胎内で、人類が経てきた様々な試練や苦難、喜びも味わってきた。我々が殺人者や泥棒、聖者になるのも単に個人の経歴ではなくどこでどのように生まれ、どう育ってきたか。いろいろな要素が生き方や各自の性格には織り込まれている。我々の脳は実際にはほんの少ししか使われていない。90%、95%以上まだまだ発展、成長する可能性がある。両手を合わせO・Ring・Testという簡単な方法で、不浄な部分、人間として誤った部分、この人類社会に奉仕できなかった部分を洗い出し、一つ一つ祈りながら浄化してゆく。
例えば、暴行されて妊娠してしまった女性にはその女性だけでなく、周りの人たちがみな彼女と生まれてくる子供のために心からの祝福と祈りのメッセージをおくる。ただひたすらに祈る。そういうみんなの祝福と祈りが、母親と子供の精神と全存在を清め、一点の曇りなく大いなる喜びで出産を迎えられる。それは、単に彼女らが浄められ昇華しただけではなく、その祈りをやった人みんなが精神の高み(霊性)を歩むことになるのです。

・夜も、ウルグアイ人でスエーデン在住のリナ・ディアスさん。テーマは「この中毒漬け社会で、どうしたら中毒から抜けれるか」。リナさんも1970-80年代、ウルグアイ解放ツパマロス戦線に属し、当時の軍事政権に逮捕投獄され1年後獄中から逃亡。スエーデンに亡命しそこで仲間と「第三世界NGO」を作り、NGOの派遣で革命真っただ中のニカラグアに来て、レオン県のアチュアパという村で村民の医療奉仕に携わっていた。ぼくはその時レオン市の大学病院に勤め、「ニカラグア自然病院村(COHNAN)」というプロジェクトを立ち上げ、医療に頼らない民衆の健康自立を革命のプログラムにとり込む作業中だった。リナさんとはその時知り合った。彼女は昔もきれいだったが、33年たった今はもっときれいだ。
彼女の美しさにボーとなって、なにを聞いたかよく覚えていない。しかし、大会以前にメールのやり取りをしたので簡単に要約すれば、我々の社会はいま中毒だらけだ。アルコール、タバコ、マリフアナ、ハッシーから、コカにいたる何百種類のドラッグまで青少年、少年少女まで巻き込んで広範な中毒者がいる。老年には特有の薬剤中毒もある。半年雪に囲まれた北欧、カナダには多くのローカルTV局がポルノ中毒を全世代に推し進めている。TV, PC中毒はいま危険なアイフォン、スマートフォンに取って代わられ生まれた時からそれなしには生きれない生活構造になってしまった。
だが、これらの中毒への従属性も働きバチ中毒、世間から隔絶して孤独をよしとする孤独中毒, 愛する者への中毒、お金中毒、便利さへの中毒に満ちた西洋中毒文化の中では不法ドラッグに対する闘いは、不法中毒社会を合法化、補強することにしかならない。せいぜいアルコール中毒者に対する「アルコリコ・アノニモ(匿名のの中毒者)」の処方だ。故国のウルグアイでは、月に2人の女性がDV(家庭内暴力)で殺されているのに、殺された情報だけで、なぜ殺されたのかその背後に秘められた関係性やどうしたらそれを防げるのかには全く言及していない。1980年代、米国のAnne Wilson Schaeffは、著書「When the society become an adicto」の中で、中毒から脱出するには「責任のある生き方」を提唱した。当時、この本は政治的にも大変重要な本だと認識された。彼女は今もそのプロジェクトに関わっているが、我々ももっと感情だけに流されない「責任のある生き方」を追求すべきではないか。

‘ 緊張がほどけ兄弟姉妹のようなうち解けた一体感がホールにも食堂にも中庭にも風になびく頃、大会3日目、最初の講演は快医学のベテラン野本みほさん。通訳はぼくがやった。
みほさんは長年路上生活者の支援活動をしてきたが、快医学を主唱する瓜生さんと意気投合。その後鍼灸師となって快医学鍼灸をベースに「れんげ草庵」を開設、20年以上前、生命の躍動「BIOHEALTH運動」を進めるAtomの心意気に合流。弱い立場の女性や子供たちの支援活動をしながらブラジルやコロンビアでの世界大会にも参加してきた。2011年、3.11大震災、福島原発崩壊の後は福島や関東一円の住民の支援と無責任な政府、東電の追求をしてきたが、オートバイでの交通事故にあい腕と骨盤骨折の重傷、その後リウマチを発症し車いす生活を余儀なくされて、ここ3-4年は鍼灸と快医学で自己治癒し、ようやく少し元気になってきたのでBIOHEALTHアルゼンチン世界大会に参加することを決めた。
テーマは「3・11震災後の福島の悲劇」。2011年、3月11日の大震災とそれに続く福島原発の崩壊は政府発表や我々の予想以上に大きな被害をもたらし、その解決の目途はまったくたっていない。太平洋沖合における地震は3県にまたがり連続して3波に及び、マグニチュウド9と類例のない激しいものであった。地震による津波は最高26mとの報告もある。その津波が福島第一原発の3つの原子炉(1号、2号、3号)を直撃し連鎖的に炉心溶融、複数の原子炉建屋で水素爆発が発生し冷却水漏れのため大気中、土壌、海洋、地下水へ大量の放射性物質が放出された。汚染は東北、関東の全域におよび海洋全体に及んだ。地震、津波による死者は19,418名、行方不明者2,537名。建物全壊121,778件、避難者数332,691名(2011年12月時点)、被害総額16兆9,000億円。他に原発事故での死者数は約1600人。国際原子力事象評価尺度(INES)では、史上最悪のレベル7(深刻な事故)。その結果、年間100万人に170~401人と従来の100倍を超える小児甲状腺癌をはじめ、11の市町村で流産、乳児死亡率、周産期死亡率が大幅に増加している。これらは、チェルノブイリやベルラーシよりも汚染度が深刻であることを示している。
にもかかわらず、政府や東電はマスコミと一体になって、都合の良い数字だけを引用し、真実を隠し、完全な情報操作で国内、国際世論を騙し、2020年「東京オリンピック」まで多くの反対を押し切って開催しようとしている。また文部科学省は福島県の小中学校の被ばく線量の安全基準を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げる暴挙を行い、親たちの反対で事実上撤回されたが、国際基準を無視して20ミリシーベルトなら安全という政府の姿勢は変わっていない。
こういう状況を前に、多くのボランテイア組織が組まれた。そして、市民と良心的な科学者が一緒になって被災者の救援活動と同時に「真実」を伝える作業に取り組んだ。快医学ネットワークではLET(生命エネルギーテスト)で体調を測り、アイロンや操体法や尿療法で元気を取り戻す快医学を通じてのセミナーや手当の支援をした。
日本各地に安心できる保養所を設けそこへ子供たちを招く活動が埋まれ、各地域の土壌や空中の放射線量を計り独自の安全基準を作る作業も行われている。そして、さらに市民一人ひとりが科学者となって政府の「嘘」と「情報操作」を暴き、国内外の良心的な科学者と共同作業をすることなど。まだまだ力は及びませんが、たくさんの課題があります。自分のいのちの主人公になることが、この環境を生き抜く何よりも大切なことだ。(野本の部分、自身で加筆修正させてもらいました)

+ 「BIOHEALTH運動を新政策の中心へ!」メキシコの提案
大会3日目の午後は、メキシコのクエルナバカから来たオスカル・ロペスさん。彼は講演というよりメキシコにおけるBIOHEALTH運動の現状と歴史を述べ、素晴らしい提案をするために演台に登った。去る7月、メキシコの大統領選挙で左派のロペス・オブラドルが圧倒的な勝利を収めたが、新大統領側近の第一秘書がオスカルの飲み友達で幼児からの親友。選挙勝利の後すぐインタビュウに呼ばれた。第一秘書はすでにBIOHEALTHについて十分な知識があり話は早かった。自分の健康は自分で責任を持つBIOHEALTHの思想は、為政者にとっても非常に魅力的だ。かつてBIOHEALTHと「政治」の出会いは、1980-90年代、サンディニスタ革命の中米ニカラグア、キューバ革命のカリブ海が実験場だった。
ニカラグアのオルテガ大統領に直接会ったことはないが、妻の副大統領ロサリオ・ムリージョは長年ぼくのシンパで、大統領が脳梗塞で倒れたときはその時キューバにいたぼくを探しに来た。またオルテガ政府の閣僚にはエルネスト・カルデナル文化大臣はじめ何人かの閣僚の患者さんがいた。「ニカラグア自然病院村」という尿療法を含めたぼくのプロジェクトがうまくいったのは陰に陽に革命政府の支援があったからである。一方、ぼくはキューバで70年代2年間サンタクララの大学で柔道を教えていたが、90年代は92年から96年までの5年間毎年4つの大学でBIOHEALTHを講義していた。95年には、ハバナの共産党中央委員会の招きで尿療法の講演会を開き当時フィデル・カストロを支える8人の政治局員のうち後に大統領になるラウル・カストロと医療厚生部門のトップDra.コンチータ・パラシオが参加し、ラウルを通じキューバ海軍に尿療法が広まった。残念ながら97年厚生省の次官通達で医師の尿療法は禁止されたが、尿療法を含むBIOHEALTHは(財)「ニカラグア自然病村」と「サンタ・クララ高等医科学研究所」(日本の医科大学院に当たる)の学術協定の範囲で実現された。
また、新世紀に入って2011年南米ペルーにオジャンタ・ウマラ大統領が生まれたとき、大統領はBIOHEALTHに大きな関心を寄せ、ぼくを招いたのだが、ぼくの病気と牛娘ドーリの病気と死で挫折したことは前に述べた。だから、今回メキシコ、クエルナバカのオスカルがもたらしたロペス・オブラドル大統領へのメッセージ「BIOHEALTHを新政策の要に」はニカラグア、キューバ、ペルーに続いて4度目(!)の正直なのである。ぼくがクエルナバカで初めてセミナーをやったのは1985年だから33年前。クエルナバカにはまだ「赤い司教」セルヒオ・メンデス神父も健在、クエルナバカはいわばメキシコの良心的革命派の中心地であった。クエルナバカからはたくさんの若者がニカラグア革命に参加し、ぼくがいたレオン市の近くナガローテの町に陣取って医療や食料や様々なプロジェクトを展開していた。50―60年代ブラジル革命の雄フランシスコ・ジュリアオや70年代のニカラグア・サンデイニスタ革命のダニエル・オルテガやトマス・ボルへも一時クエルナバカに亡命していた。まだ10代後半でニカラグア革命に参加していたアルトウーロやセルヒオ、 アラセリやフアン・カルロスをぼくはニカラグアで知り合ったが、「劇団ゼロ」のアルトウ―ロやセルヒオはその後EZLN(サパティスタ民族解放軍)に入り1994年1月1日チアパス州のラカンドンで蜂起し、15年間山岳地でゲリラ活動。アラセリは国立大学遺伝子学教授(内科医)、フアン・カルロスも外科鍼灸医、メッセージを携えてアルゼンチン世界大会に参加したオスカルも代替医療系の治療家でみんな元気いいぼくの相棒弟子である。オスカルは大会でも宣言していたがロペス・オブラドル大統領とぼくのインタビューを画策している。はて、どうなることやら。

✛ ワークのメインは、お猿とみほの“日本のサンバ”阿波踊り
ワークショップは大会2日目、3日目に集中して行われた。ぼくもこの2日間は「biohealth 入門」というテーマでまだ一度もセミナーを受けていない人のために理論のワークを担当したため他のワークには参加できなかった。主なワークは...
。アイロン法 (野本みほ Japan)
。薬草と花による癒し~生命エネルギー医療(ラウラ・カスタネダ ウルグアイ)
。生命エネルギーマッサージ(アリシア・カブレラ  コロンビア)
。どうしたら心に入れるか(マルセロ・サウロ  アルゼンチン)
。タロットと花エッセンスによる癒しー新シャーマニズム(マリサ アルゼンチン)
。五感における尿(アウラ・エレナ  コロンビア)
。改めて薬草を見直す(アナリア・サヘル& BIOSALUD アルゼンチン)
。瞑想<意識の発展(エシヲ・ベルテロッテイ アルゼンチン)
。生命エネルギーの測定(レナート神父 ブラジル)
。体とこころの健康を回復する断食と沈黙(リリアナ  アルゼンチン)
。声の奥行(可能性)(メルセデス・ルビオ アルゼンチン)
。BIOHEALTH入門(Atom Japan)
。エモーションを解き放つ日本のサンバ 阿波踊り(お猿&みほ Japan)
~ 他、本やDVD, 民芸品、衣類、薬草などの売店は随時大ホールで
~ 各国、各グループ、民族の治癒の「証言」や経験は書ききれないので省いた
+ メキシコを応援する「BIOHEALTH国際大会」は来年、2019年クエルナバカで !
+ 次回「第10回BIOHEALTH世界大会」は2021年、ブラジル・アマゾンのマット                           グロッソで!   テーマ「この環境で生きられるか」(健康と環境)

+ 旅の宴
この2年間は北米のメキシコから南米のブラジル、アルゼンチンまで何度もたくさん旅をした。20年近く行っていないパナマにも足を延ばした。最後の旅は、メキシコを起点に3か月かけて中米5か国、パナマに行く予定だった。だが、少し目算が狂った。中米の情勢は思った以上に悪い。治安の悪化で何年も行っていないエルサルバドルは、今回もギリギリになって「いのちの保証はできません」。ニカラグアではわずか4カ月ほどで反政府活動を理由に300名近くの人が殺された。ぼくらが革命に参加したころのダニエル・オルテガは、はつらつして言葉のきれもよかったが、今では権力の亡者と化し哀れで悲惨な独裁者に変わった。左も右も同じだ。権力がひとを腐敗させる。だからBIOHEALTHは組織やヒエラルキーを作らなかった。「BIOHEALTH運動」だけである。それで運動は30年間続いてきた。
大会の後、パラナからサンタフェのコッテージに戻った。みほさんやお猿さん、彫刻家の息子2人も一緒だった。朝から宴会をやり、ここで息子2人の「BIOHEALTH讃歌」を聞いた。みほさんはアフリカ太鼓タンボールで見事に呼応した。ひとはみな隠れた才能を持っているものだ。みほさんはその夜のバスで帰国のためブエノスアイレスへ。お猿さんを見送って、ぼくとアリシアはコロンビアの黒人アウラ・エレーナさんと3人で南へ。南極へ向かった。まず、ブエノスアイレスから飛行機で1300Km離れたバリロチェへ。大雪のバリロチェ。大会では華やかな衣装を着て踊りまくった81歳になる世話人フィナさんの家に泊まった。バリロチェの敬老会館の2階で「癌、慢性病の自宅療法」講演会。100名近くのひとが集まった。みんな若い人だ。バリロチェからまた飛行機で南のカラファテへ。ここはもう南極の入り口だ。生まれて初めて氷山を見た。幅18Km, 奥行25Km, 高さは湖面から100mほどか。淡水湖の氷山では世界最大か。何万年もかかって作られた氷山。我々は、ポケットに忍ばせてきたウイスキーをとりだして氷山のかけらでOn The Rock、乾杯!!!
我々3人はまたも飛行機で地球最南端の島、南半球の地の果て“火の島”(テイエラ・デル・フエゴ)に着いた。南極まであと一歩(1000Km)だ。ダーウインのヴィーグル号が通ったヴィーグル海峡は目の前にある。火の島の首都ウシュアイア(人口7万)は南極観光拠点であるだけでなく、いま工業団地として発展している。火の島に来て大会までの緊張がすっぽりとれてまた新たな闘志が湧いてきた。次の大会は、ブラジルのアマゾンだ!